7つの習慣から学ぶ-私達が直面している困難-


※7つの習慣から抜粋

恐れと不安
昨今、多くの人は何がしかの恐れに捉われている。
将来を恐れ、職場での自分の弱さを恐れ、職を失い家族を養えなくなるのではないかと恐れている。このように気弱になっていると、安定した生活を望み、職場や家庭でお互いに持たれ合う共依存関係になりがちだ。
持たれ合いの共依存関係から抜け出すには、各々が自立する他ない。現代社会では、このような問題に対する一般的な解決策は「自立」とされているからだ。

恐れと不安を克服するには、自立することは不可欠である


今すぐ欲しい
人はモノを欲しがる。それもすぐに欲しがる。
「もっとお金が欲しい。立派な家や車が欲しい。娯楽施設で楽しみたい。全部を手に入れたいし、全部手にして当然だ」と考える。
クレジットカードが普及し、「今手に入れて支払いは後回し」というスタイルが当たり前になっている。しかし、経済的な問題はいずれ訪れる。自分の支払い能力を超えてモノを買ってはいけないことに後から気づき、痛い思いをすることもある。
それに懲りても、もっと堅実に生活しようとしても、長続きしない。あるいは利息の請求がしつこくつきまとい、いくら一生懸命働いても追いつかない羽目に陥ることもある。

懸命に生活するだけでなく、常に自分を再教育し、自己改革していかなくてはならない。時代の波に乗り遅れないためにも、絶えず知性を磨いて研ぎ澄まし、自分の能力を伸ばすことに投資していなければならない


非難と被害者意識
人は何か問題にぶつかると、他社に責任を押し付ける傾向がある。昨今は被害者ぶることが流行にでもなっているかのようだ。
「もし上司があんなに無能でなければ…、もし貧乏な家に生まれていなければ…、もしもっと良い場所に住んでいれば…、もし父親の短期が遺伝していなければ…、もし子供がこんなに反抗的でなければ…、もし他の部署が受注の問題を繰り返さなければ…、もし社員がこれほど怠け者でなければ…、もし妻がもっと自分を理解してくれれば…、もし…、もし…」
こんな風に、自分の抱えている問題や困難を他人や状況のせいにすることが当然のようになってしまっている。そうすれば一時的には痛みが和らぐかもしれない。
しかし実際には、自分とその問題を繋ぐ鎖を強くするだけなのである。

謙虚な人は自分が置かれた状況を受け入れ、責任を取る。勇気ある人は、主体的に困難に取り組み、創造的に克服していく。こうした人達は、自ら選択することによって大きな力を得るのである。


絶望
非難されてばかりいる子供は、人に対する不信感と絶望感を内面に育ててしまう。置かれている状況で自分は被害者だと思ってしまったら、希望を失い、生きる意欲を失い、やがて諦めと停滞の状態に慣れていく。
「私はただの駒、操り人形だ。歯車の歯にすぎないのだから、自分ではどうすることもできない。何をすればいいのか指示して欲しい」
聡明で有能でありながら、こんなふうに感じ、落胆と憂鬱の連鎖に陥っている人のなんと多いことか。多くの人達は今の社会で生き残るために、「何かあった時に落胆しなくてすむように、人生に対する期待のハードルを最初から下げておけばいい」というような態度を取っている。

人間の長い歴史を通して見出された成長と希望の原則は「自分の人生は自分で創造する」


バランスの欠如
私達の生活は、より多くのことが要求され、ストレスは増し、本当に疲れさせる。時間を管理して少しでも多くの成果をあげよう、現代のテクノロジーの驚異を上手く駆使して効率を高めよう、有能な人間になろうと、誰もが必死で努力している。それなのになぜ、ますます仕事に追われ、健康、家族、誠実さなど、自分にとってもっとも大切なものを仕事の為に犠牲にしなければならないのだろう?
生活を維持するエンジンである仕事が問題なのではない。仕事の複雑化や早すぎる変化でもない。問題は、「もっと早く出勤し、もっと遅くまで残業しなさい。もっと効率的に働きなさい。今は忍耐あるのみ」という現代社会の要求である。

心の平和やバランスのよい生活は、自分にとって最も重要な事柄を明らかにし、それを誠実に実行して初めて得られるものである。


「利己主義」
現代社会は、「人生で何かを得たいなら、一番を目指さなければならない」と教えている。「人生はゲームだ。レースだ。競争だ。だから勝たなければ意味がない」というわけである。同級生、職場の同僚、家族までもが競争相手に見え、彼らが勝てば勝つほど、自分の取り分が少なくなると感じる。もちろん外見上は他者の成功を応援する寛大な人間のように振り舞うが、内心では他人の成功を妬んでいる。

この知識労働者時代においては、個人ではなく「私たち」という概念を心から理解し、実践し、内面化した人こそが、最大の機会、無限の可能性を手にできる。全ての人に成功が行き渡ってなお余りあると考える「豊かさマインド」を持つ人、他者を尊重し、お互いの利益の為に無私の気持ちで働く人によってこそ、真の優れた業績はなされるのである。


理解されたいという渇望
人が持つ欲求の中で、他人から理解されたいという欲求ほど切実なものはないだろう。「私の声に耳を傾けて欲しい」「私に敬意を払って欲しい」「大切にして欲しい」という欲求は、他者に対して影響力を持ちたいという欲求でもある。ほとんどの人は、影響力の鍵はコミュニケーション力にあると思っている。自分の言いたいことを分かりやすく、説得力を持って伝えられれば、他者に影響を与えられるはずだと考えている。
しかし、わが身を振り返ってみて欲しい。誰かと話をしている時、相手の話を理解しようと真剣に聴くどころか、相手が話し終わった後のリアクションを考えながら聞いていないだろうか。あなたが相手に影響を与えられるのは、相手があなたに影響を与えていると感じた時からである。自分が理解されていると感じた時、あなたが本心から真剣に話を聴いてくれたと感じた時、あなたが心を開いてくれたと相手が感じた時に初めて、その人に影響を与えられるようになるのである。
ところが、ほとんどの人は、感情的な未熟さゆえ他者の話を真剣に聴くことができず、自分の考えを伝えることばかり考え、相手を理解することに神経を集中しようとしない。

現代社会において、理解と影響力が大事だと声高に叫ばれている。しかしながら影響力を与えるということは、例え1人でも真剣に聴いてくれる他者との相互理解という原則に基づくものなのである。


対立と相互
人間には多くの共通点がある。しかし同時に相違点も多い。人それぞれに考え方は異なるし、価値観やモチベーション、目的が相反することもある。こうした違いによって、自然と対立が引き起こされる。競争社会においては、お互いの考え方の違いから生じる対立を解決するとなると、どうしても「可能な限りたくさん勝ち取る」ことにエネルギーが向けられてしまう。妥協は、両者がそれぞれの立場を明確にし、お互いに受け入れられる中間点まで歩み寄るという巧みな解決策と言えるかもしれないが、それでも双方ともに満足する解決策ではない。

考え方が違うからといって、解決策を最低の共通点まで引き下げなければならないのは、何とも勿体ない。妥協せず、創造的協力という原則に従えば、双方が最初に持っていた考え方を上回る素晴らしい解決策を生み出せるのだ。


私的停滞感
人間の本質には4つの側面がある。肉体、知性、心情、精神である。これら4つの本質に対する現代社会と原則のアプローチの違いを見ていこう。

・肉体
現代社会の傾向:生活習慣を改善せずに、健康上の問題は手術や薬で治療する
原則:健康に関して、すでに確立され受け入れられている普遍的な原則に従ったライフスタイルによって、病気や健康上の問題を予防する

・知性
現代社会の傾向:テレビ(ネット)を見ながら娯楽(ゲーム)にふける
原則:幅広く深く読書(インプット)し、継続的に学ぶ(アウトプット)

・心情
現代社会の傾向:私利私欲の為に、他人を利用する
原則:敬意を払い、話を真剣に聴き、他者に従えることが真の達成感と喜びをもたらす

・精神
現代社会の傾向:世俗主義と皮肉が増長する風潮に身を任せる
原則:人生を前向きに捉えることが出来るもの、人生に意味を見出そうとする基本的なニーズの源には原則があることを認識している

私達の普段の生活では、様々な問題や葛藤が存在している。問題を深刻に受け止めて精神的に病んでしまう人も多い。しかし、問題を軽視して無視し続けている人もいる。


必要なことは、問題を知り、その問題をどのように解決するかが重要である。問題が起きた時の対処法、問題が起こりにくい立ち回り、それらは小手先の手段ではなく、日々の習慣から形成される人格によって成り立つ。


先ずは、私達の現状で何が問題になっているのか明確化する必要がある。


閲覧数:17回0件のコメント

最新記事

すべて表示